【ビートルズ・ヒストリー】5人目のビートルズ

漫画

【ビートルズ・ヒストリー】5人目のビートルズ

出典:Amazon

その男はビートルズの前に突然現れた。

「君達のマネージャーをやりたいんだ」

ブライアン・エプスタイン

5人目のビートルズと言われた名マネージャーである。

1934年裕福な家具店の長男として生まれる。
ユダヤ人である彼は戦争で軍隊に入隊。 
その後、演劇アカデミーで役者の勉強をし、再びリヴァプールに戻り家業に付いた。 

彼がいなければ、ビートルズの歴史は違ったモノになっていただろう。

そのビートルズだが、誰もが自分の血液型を知らなくてもビートルズは知っているはずだ。

今更語る術もないが…

1963年、イギリス本土から始まったその現象は、たちまち世界中を襲った。

あらゆる階層、あらゆる人種の若者が、絶えず熱狂的な歓声をあげ「イエイエ」をぶつける

大多数の者は、自分達のあげる騒音で何も聞こえなくなる。

彼らは感情的、心理的、性的に興奮する四人の若者に向かって、イナゴの大群衆の様に殺到し、涙を流し口から泡を吹きアッサリ失神する。

世界各地で見られたこの現象には、若者だけでなくあらゆる年代の人々、知的階級者までが屈服した。

世界的な指導者、あるいは有名人が、四人の若者に関して注意を与えたり、批判しながら彼等を知っている顔をし自分をアピールした。

1963年から三年間に渡って世界を襲ったこの現象…『ビートルズ・マニア』と言う。

ビートルズを取り巻くこうした現象までをも含めてビートルズなのである。

そのビートルズを語るのに必要不可欠な人物が、ブライアン・エプスタインだ。

冒頭にも書いたが、彼等の前に突然現れて「君達のマネージャーをやりたいんだ」と申し出て、そこで「君達のステージを見せてもらったよ。年甲斐もなく興奮した。…と、同時にこのままじゃいけないと思った。君達のエキサイティングなステージをリヴァプールだけに埋もれさてしまうのは勿体なさ過ぎる。君達力ならイギリス中を、いや、アメリカまでも熱狂させる事が出来る」

こうして彼等の承認をもらうと「私はマネージメントは初めてだが君達を見て自信が付いた」と言うと四人は驚いてしまう。

「大丈夫なのか?」と言う彼等の声に…
「大丈夫だ。私には自信がある」と答え彼等を納得させてしまう。

『自信を持つ』と言う事が如何に大事な事か、これは『漫画大学院』力を込めて言いたい事かな⁉️

何故かと言えば人は『出来る』と言う自信を持つと脳からはドーパミンと言う物質が分泌される。


ドーパミンが分泌されると情報処理能力や集中力、やる気が高まると言われている。


精神的報酬を得た時にも分泌されるので、自らが目標を設定し、その目標を達成させる意欲も湧くからだ。

だから『自信を持つ』と言う大きな気持ちは、自分と言う身体ごとを引っ張って行ってくれる事になる

さて、まずブライアンがやった改革は彼等の自由奔放なステージを作り直す事だった。

ビートルズのトレードマークの一つとなったタイトなスーツもブライアンが決めた事だ。

衝突も頻繁にあったがブライアンは彼等を説き伏せた。

ブライアンはショービジネスに関してはほとんど無知だったが、ビートルズのポスターやパンフレットを作り精力的に売り込んだ。

レコーディングしたテープを持ってロンドン中のレコード会社を全部回ったのである。

最後のレコード会社、HMVレコードでレコードデビューが決まる。

これをキッカケにビートルズは大きな決断をする事になる。

ジョン、ポール、ジョージの三人が、ブライアンに対して「ドラムのピートの代わりにリンゴ・スターを入れてくれ」と言う。


ブライアンにとっては辛い通達になったが、このレコードデビューで【ビートルズ】が出来上がる事になった。

ただ、この当時ロックンロールは若者に悪影響を与えると言う理由でマスコミの扱いは低くかった。

しかし、ブライアンはこの風潮さえも変えてしまうくらいに、マスコミに対しての売り込みは必死だった。

その甲斐がらあってか、ビートルズのデビューシングル『プリーズ・プリーズ・ミー』全英チャート1位になる。

それがビートルズへの熱狂の始まりだった。

マスコミはその熱狂ぶりを社会現象として取り上げる様になり、全ての新聞社の記者が彼等を追い回す様になる。

ブライアンはビートルズの取材をするジャーナリストを選び、その者以外には許可なしにインタビューをさせない様にする。

そして最初の海外公演をブライアンはスウェーデンにする。
言葉の違う共産圏と言う国で通用するのか試したかったからだ。

ストックホルムで行われたコンサートはブライアンの予想を超えるものだった。

ブライアンは【大きな波】を確信する。

そしてブライアンはアメリカへ渡り、エド・サリバンと会う。
『エド・サリバンショー』は国際色豊かで当時のアメリカでは高視聴率をあげている番組だ。

今までこの番組で3週連続して出演したのは、エルビス・プレスリーだけだった。

そこでブライアンは3週連続で出演交渉する。
「彼等がエルビスを超えている事を証明してみせます」と言って⁉️


まだビートルズが何者なのかわかっていないアメリカでの事だ。

ブライアンは高額な宣伝料でアメリカのレコード会社を使いビートルズ旋風に煽りをかける。

【ビートルズがやって来る】

その『大きな波』は、まだ一度も足を踏み入れていないアメリカで、彼等の曲『抱きしめたい』全米ヒットチャート1位になってしまう。

アメリカ公演が大成功したのは言うまでもなく、その後アメリカのヒットチャートでは彼等の曲は100位以内に20曲も入り、何と1位から6位までを独占していた。

ただ、順風満帆と言う訳ではなかった。

雑誌のインタビューでキリスト教に付いて聞かれ、ジョンが「最近の宗教信仰の衰え方と言ったら情けないね。このままじゃキリスト教はダメになる。そのうちキリストよりビートルズの方が知名度が高いなんて言われかねいぜ」と言った事がきっかけでアメリカ南部を中心にビートルズ反対運動が起こる。

「コンサート会場を爆破する」とか「殺し屋を雇ったから用心しろ」と言う様な脅迫状まで届く様になる。

ブライアンはここでも彼等の防波堤になった。


直ぐにアメリカに飛び記者会見を開きジョンの解釈の違いを説明し、マスコミを使いビートルズの正当性を強調した。
ブライアンの迅速な行動は、その後のコンサートツアーに影響が及ぶ事はなかった。

だが彼等ビートルズは、全くプライベートのない生活に嫌気がさし、ブライアンに対して「コンサートをやめたい」と言い出したのだ。

ブライアンは受諾する。

この頃からブライアンは不眠症になって行く。

そして今度はポールがジョンに続き、麻薬についてのインタビューで肯定する発言をし槍玉にあげられる事になる。

ブライアンは全面的に麻薬使用支持した。

法に触れないが為にブライアン自身も麻薬を嗜んだ事があったからだ。

当然非難もされたが、ブライアンは「私は彼等と一心同体のつもり。彼等が麻薬で槍玉にに上がったのなら当然私も非難を浴びるべき」と言う発言は、60年代後半から70年代にかけてのヒッピーを生み出す火付け役ともなった。

1967年、この頃から宇宙開発が急速に進み人工衛星により宇宙中継も可能となる。
そこで『ojr world』と言う全世界宇宙中継TV番組が制作される事になった。

【イギリスの顔はもちろんビートルズ】

ビートルズのテーマは『All You Need Is Love(愛こそはすべて)』反戦を歌った曲だ。

The Beatles "All You Need Is Love" Cover ( 愛こそはすべて ) / Home Recording

そしてこの放送は15億人以上の人々が見入った。

その後ビートルズはそれぞれ好きな道を目指し始める。

体調の優れないブライアンはサセックスの別荘で休暇を取る事になった。

1967年8月27日、この日がブライアンの命日となる。

死因は多量の睡眠薬の服用によるものだった。

32歳の若さである。

ブライアン・エプスタインの死はビートルズだけでなく、世界中の音楽界に衝撃を与えた。

その功績は計り知れないものがある。

最後になるが・・・

この漫画の面白さはブライアンのマネージメント力の凄さを理解するところにあると思う。

ショービジネスに限らず、社会においてはマネージメントが如何に大事かを再認識させられる。

実際にブライアン亡き後、ビートルズは糸の切れた凧の様になってしまう。

そして解散・・・

解散後、各々が活躍はしているが・・・

仮にブライアンが生きていたら、その後のビートルズも更なる金字塔を打ち立てていただろうとは思ってしまうからね⁉️

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