『神々の山嶺』は凄い漫画だ。。。

漫画

『神々の山嶺』は凄い漫画だ。。。

タイトルでも『凄い』と私は表現しているが本当に凄い漫画だ。

全てが凄い・・・

谷口ジロー先生は風景画がとても上手だ。


この漫画は山の物語だから、雪原はもちろん岩肌までが綺麗に細かく表現されている

海に例えれば、波しぶき一つ一つを丁寧に描き上げる様なもの…と例えても想像し難いはずだから、それだけその描写は凄いと言う事だ。

物語の冒頭、オデルと言う登山家が標高7,900mのエヴェレストで三葉虫やアンモナイトの化石を発見する。

そして呟く。

「これは確実に地球上で最も高いところで発見された化石になる。…信じがたいことだが、この場所はかつては海の底だったのだ」

と言う神秘性のある表現で、もう掴みはOKだ。

いきなり引きずり込まれる。

ノエル・オデルは1924年のエヴェレスト初登頂の遠征に地質調査員として参加した登山家だが、エヴェレスト初登頂の謎を残してエヴェレスト山頂付近で消えたマロニーアーヴィンを見た最後の人間でもある。

エヴェレストに初登頂したのは、1953年エドモンド・ヒラリーシェルパのテイジン・ノルゲイとなっているが、初登頂はヒラリーの初登頂よりも29年も前のジョージ・マロニーアンドリュー・アーヴィンだったのではないかと言うのは今ものままだ。

マロニーの遺体は1999年にヨッヘン・ヘムレブによって高度8100m付近で発見されるが、所持品の中にカメラがない。

そのカメラがあればこれまでの歴史的疑問が解かれるところだったが…何故か見つからなかった。

この漫画は深町誠と言うカメラマン登山家が、カトマンドゥの街にある古道具屋でカメラを見つける事から、ミステリアスに展開される物語ではあるが、そこに様々な登山家の生き様が見えて来る。

孤高のクライマー羽生丈二―登山界の一匹狼として名を馳せヒマラヤで消息を絶った修羅の男もその一人だ。

さて、ここで少し休憩だ・・・

このおおよその紹介まで書いて、疲れてしまう様な漫画でもあるからね!?(苦笑)

そしてここで思った事がある!!


南極点到達はアムンセンだとは知っていたが、さていつだったろうと思う。


南極はエヴェレストと同じ極寒とは言え、少なくとも山はあっても基本的に平地。

だから早いはずと思ったら確かに早く1911年12月14日だ。

そこで更に思ったのが、何故か私は北極点到達したのが誰でいつなのかは知らない。

テレビ番組リサーチ会社の代表としては当然ながら調べる。

…で、

ローバト・ピアリーが1909年4月6日に犬ぞりで初到達している。

だったら初到達は犬だな?

犬の名前は何て言うんだろう?

…が、放送作家的な発想になってしまう。(苦笑)

実際にはピアリーが到達した地点は北緯89°97′だったので正しくはない。

…で、1926年にやはり南極点到達を果たしたアムンセンが飛行船で横断したのが最初の北極点到達と言う事になるらしいのだが、「これってどうなの?」って思ってしまう。

ところが、北極圏に生活するイヌイットは1万5千年以上前にシベリアから北米大陸に移動して来たと推定されているから、誰が北極点の先陣を切ったのかと言えばイヌイットと言う先人と言う事になる。

さて、一応洒落で収まった。

ところで、イヌイットの名前は何て言ったんだろう?(もういいネ!しつこいネ?)

物語に戻る。

ところでどうしてこれほどまでに山の物語は出来るのだろう?

「あなたはなぜ山に登るのか」と聞かれて「そこに山があるからだ」と言う誰もが知っている台詞がある。

おそらくこれを言った登山家の名前を知っている人は少ないだろう。

これを言ったのは、エヴェレスト初登頂の謎を残して死んでしまった、ジョージ・マロリーなのである。

ただし、「あなたはなぜ山に登るのか」と聞いたインタヴュアーは未だに誰なのかわかっていない。

これもだ。(笑)

ただ、「そこに山があるから」では済まされない厳しさが山にはある。

極寒、雪崩、吹雪、強風、凍傷、飢え、渇感、重さ、疲労、幻覚、そして死…と言うあらいるものと闘わなくてはならない。

ここで重さと書いているが、精神的重圧があるのはもちろんだ。

ただ、ここで言う重さとは、当然ながらリュックの重さの事である。
極限まで軽くしなければならない。

それは、記録用のノートは書けるわずかなスペースを残して破り捨てる。

鉛筆は書けるギリギリまで短くする。

これらを省いても僅か数グラムだ。

この数グラムの重さが、命を落としてしまう原因になるかも知れないのだ。

『山での失敗は死を意味する』…ならば、

鉛筆の長さで生死が決まる程の本当に本当の極限の闘いだ。

そして幻視幻聴だ。


何故、雪山では、幻視・幻聴・に襲われるのかいくら調べても詳細な説明に辿り付かない。

肉体的、精神的に強いストレスが呼び起こすもの』と言うこの程度だ。

日本には、世界山岳史上最大とも言われる犠牲者を出した、青森県八甲田山における山岳遭難事故がある。


私は確か高校生の時に、『八甲田山』と言うタイトルの映画を観た事があるのだが、

何人もが、幻視・幻聴からなのか発狂し極寒の中で着ているものを全て脱ぎ捨て凍死する。


これは衝撃的だった・・・

人は標高4000mを超えたところに行くと、自分の家の電話番号が思い出せない事があると聞いた事がある。(私は今でも思い出せない=汗)

幻視・幻聴に襲われても何の不思議もない。

そして登山家と言うと手や足の指が無くなっている。

指が全部ない登山家もいる。

もちろん凍傷でなくしたものだ。

これって、、、

この闘いは達成感の為?
登山家には野心家も多いと聞く。

だったら名を馳せる名誉の為?

物語の中では羽生丈二が「生きた瞬間が長いか短いかはただの結果。死ぬだとか生きるだとか、そう言う結果の為に山に行くんじゃない」と言っているがそれもまた登山家の本音かも知れない。

ただ、極限と闘う登山家の多くは山で死ぬ。

死んでしまった登山家ほど伝説になる。
人々はそこに美徳を感じる。

だから物語になる。

歌にもなっている。

『娘さんよく聞けよ 山男にゃ惚れるなよ 山で吹かれりゃよ 若後家さんだよ』と言う一小節は耳にした事もいるはずだ。

1962年ダークダックスが歌った『山男の歌』だ。

「山男の歌」歌ダークダックス

歌でも山男は死んでしまっている。(笑)← 笑えない!

ところで私は昔からよく、「あんたんか絶対に地獄に落ちるわよ?」なんて言われては来た。(苦笑)

もともと無神論者だから、死後の世界とかも信じてはいないが、天国よりは地獄の方がいいなと思った事はある。

天国と言うと花鳥風月を思わせるかの様に決まってお花畑。

あくまでイメージなんだろうが、何であんな退屈で花だらけのところを『天国』と例えたのだろうと思う。

まるでストーリーを思い起こさせてくれない。

その証拠にピクニックの漫画はない。(笑)

険しい山への挑戦だから物語になって漫画にもなる。

険しさを通り越して、厳冬で極寒の山なんかそれこそ地獄の様なところだ。

『手に汗を握る』と言う表現があるが、私はこの漫画を読みながら何度息苦しさを覚えた事か。

因みに我が家の標高は22mだ。(苦笑)

ただし、そんな厳しさを安堵させてくれる恋愛話も出て来る。

ネパールの政治的背景や隣国ブータンとの民族紛争までもが描かれている。

こうした布石もエヴェレスト登攀には欠かせないものになっている。

叙情詩的な表現が随所に垣間見えるところもいい。
そしてこの漫画はスポットの当て方が強烈で、登山家として扱われる人物は全てが主人公に思えて来るから不思議だ。

だが、一貫して物語を引っ張る深町誠と言う登山家カメラマンを主人公にするならば、彼が最後にエヴェレスト登頂に成功した時に吐く、

『そして俺は地球を踏んだ』

と言う表現は、正にこの漫画(物語)の重さを理解させてくれるのにはピッタリだったかなと思う。

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