【ブルース・リー物語】はアクションが色あせしない事を教えてくれる。

漫画

【ブルース・リー物語】はアクションが色あせしない事を教えてくれる。

1940年…

ニューヨークの舞台で広東オペラを演じる喜劇役者李海泉(リー・ホイチュアン)李小龍(ブルース・リー)の父親だ。

そして母親ドイツ人の父親と中国人の母親を持つハーフなので、リーはドイツ人の血が1/4入ったクオーターと言う事になる。

アメリカのサンフランシスコで生まれたプルースは、アメリカンネームを持っているが、このブルースと言う名前は産科医に付けてもらったと言う。

『ブルース・リー』誕生した瞬間だ。

ブルースの最初の名前は振藩(チェンファン)と名付けられたが、これは『再帰』と言う意味で、再びアメリカに戻って来る事を意味しているが、夫妻は最初に生まれた男の子を生後間もなく亡くしている。

その子が戻って来たと言う意味も含めての命名でもあった。

幼年時代のブルースは痩せ細っていて身体が弱く直ぐに熱を出していたが、一瞬たりともジッとしない子供だった。

少年時代になっても、その落ち着きのなさは相変わらずで、困った母親がおとなしくさせる為に本を与えたのだが、これにブルースは食いついた。

後年、哲学書を読み漁った面影がここにあった。

ただ本に夢中になり過ぎて、ブルースは極度の近視になってしまい6才から眼鏡を掛けていた。

父親はブルースをよくロケ現場に連れて行った。

すると現場の監督から声がかかる様になりちょくちょく映画に出演していた。

ブルースは18歳で香港を去るまでに20本以上の映画に出ている。

ブルースは12歳になりカトリック系のラサール中学に入学する頃には、子役として活躍する反面不良少年としても名を馳せて行く。

イギリスからの返還前にあった香港の九龍市のネイサンロードは治安の悪さで有名な地域だった。

ここで喧嘩ばかりしていたブルースは、いつの間にか『喧嘩狂』のあだ名付けられるほどのワルになっていてギャング団のリーダーになっていた。

私は返還前の1997年以前に幾度となく香港を訪ねているが、最初に行ったのは確か20代前半の頃だったと記憶している。

その頃はまだ『東洋の魔窟』と言われていた『九龍城碧』が残って異様な情景を目にする事が出来た。

…と言うのも、私はどうしても外国に行くとその国の暗部まで行ってみたくなる。

怖いところと聞いてはいたので、腕時計を外しお金はバス代の小銭だけ、みすぼらしいTシャツに短パン、そしてビーサンと言う取られるモノが何も無い格好で向かったのだが、城碧に近づくと人が私に近寄って来る。

その寄って来方が異様で、とにかく逃げた。

全速力で逃げた。(笑)

後で聞いたのだが「見ぐるみ剥がされた上に、臓器まで取られてしまうところだから絶対に近寄ってはダメなところ」と言われ納得したものだった。

そんな危険なところで少年時代にギャングのリーダーをしていたのがブルースだ。

ところがある日、対立するグループから不意打ちを受けて袋叩きにあってしまう。

ブルースはもっと強くなりたいと思った。

ボロボロになって家に帰って来たブルースに、母親が驚くとブルースは「母さん、ボクに武術を習わせてくれ」と言う。

最初は戸惑うがブルースから「身を守る為の護身術だよ」と言われ母親も納得せざるを得なかった。

ブルースが入門したのは『葉問派詠春拳』の宗家、葉問(イップ・マン)師匠のところだった。

【中国武術・カンフー達人講座】葉問派詠春拳の達人!イップ・マン‼︎
出典:https://www.youtube.com/

『詠春拳』とは詠春と言う女性が創始した拳法で、最小限の動きで最大限の打撃を与える為に編み出された拳法である。

詠春は類まれなる美貌の持ち主だった故に、悪い輩に力づくで襲われてしまう事があった。

それでカンフーを習い出したのだが、腕力ではどうしても力のある男性に劣ってしまうので、腕力の無さをカバーする為に派手な大技を捨て、技を出来るだけ簡略化したのが詠春拳である。

ここで漫画大学院からの豆知識になるが、カンフー(中国武術)には約400もの流派がある。

ブルースの開祖となった截拳道(ジークンドー)もその一つになるのだが、詠春拳がその礎となったものだ。

詠春拳に励むブルースだったが喧嘩の方は更に酷くなる。

それで学校も退学になり別の学校に通う事になるのだが、その学校で出会った教師ブラザー・エドワードにブルースはボクシングを勧められる。

そのボクシングでも、部類の強さを発揮し香港の3年連続チャンピオンを3ラウンドでKO勝ちをしている。

ブルースはボクシングからもう得られるモノはないと、この試合を最後にボクシング部を退部してしまう。

ただ、のちにブルースが劇中で見せるステップは、このボクシングとダンスのチャチャがベースになっている。

ブルースには軟派なところもあり稽古の合間にも、女性にモテたいが為ダンスも習っていたのである。

ブルースが凄いところは、このダンスのチャチャでも1958年度の香港チャチャコンテストでも優勝している事だ。

香港の社交ダンスホール Sla Dance Club 2015CDC香港ツアー
出典:https://www.youtube.com/

※チャチャとは日本で言う社交ダンスの事である。

そしてブルースは、名刺を何枚も持ち歩き女性に配り歩いていた。

名刺には『ボクはキミとデートがしたい。もしOKならボクに微笑みかけて!』と書かれていて、10人中10人がブルースに微笑みかけたと言う。

この名刺が今どこかで見つかれば破格の値が付くといわれている。

…とは言え、やはりブルースは軟派な自分よりも、更に強くなりたいと言う願望が強く、これまで習っていた詠春拳のイップ・マンのもとを去り『功力拳』の門を叩く。

Gong Li Quan (功力拳)
出典:https://www.youtube.com/

この拳法は飛び蹴りなどを用いる大技に富んだ派手な拳法で、この時の経験がのちに数々の名格闘シーンを生み出す素地となっている。

詠春拳、ボクシング、功力拳を身に付けたブルースは強くなり過ぎた。

詠春拳のイップ・マン師匠は「この強さが悪い方向に出ないといいが」と言う心配は現実のものとなる。

ブルースの在籍する聖フランシス・ザビエル校と近隣のライチャーズスクールとの対立激化死人が出そうになる程の大乱闘事件が起きた。

相手はブルースの自宅までを襲撃するまでになる。

たまりかねた両親はブルースをアメリカに行かせる事を考える。

ブルースはサンフランシスコで生まれている。

アメリカで生まれた者は人種を問わず18歳で市民権が得られる事から、ブルースは一人で再びアメリカの大地を踏む事になる。

この時、ブルースの所持金はわずか100ドルだった。

ブルースはシアトルワシントン大学にほど近い中華料理店の屋根裏部屋に住み込みのアルバイトとして働き始めるが、寝床まかないを与えてもらっているだけで給料はもらえなかった。

それでトレーニングにもなると新聞配達を始め、更にはハイスクールが終わるとチャチャダンスを教えて小遣い稼ぎをしていた。

そんなある日…ブルースは街中で二人の大男に絡まれてしまう。

もう喧嘩はしないと決めていたブルースだが、降りかかる火の粉は払わなければならない。

ブルースがその大男二人を倒すのに時間はかからなかった。

…と言うか、アッという間の出来事に周りで見ていた人達は一斉にブルースを取り囲む。

「今のはジュウドウか?」「いや、カラテだろう?」「カラーテではないのか?」とみんなに取り囲まれたブルースは質問攻めに合う。

ブルースは答える。

「違う。これはカンフーというんだ」

周りにいた人達からは今度は次から次へと「俺にカンフーを教えてくれ」と言う声に変わる。

この事がキッカケでブルースはカンフー教室を開く事になり、中華調理店を出て一本立ちする事になる。

そして勉学にも励み名門『ワシントン大学』の哲学科へ進学する。

大学に入った事で生徒数も増え、道場も大学近くのアパートへ移した。

日に日に道場の評判は高まり、護身術を目的として女性の入門者も増えて来る。

ブルースの生涯の伴侶となる『リンダ・エメリー』と知り合ったのはこの頃である。

ブルースは知人から道場の共同経営の話を持ち掛けられ、その為に大学を中退しリンダと籍を入れオークランドの地に向かう事になる。

このオークランド行き裏目に出てしまう。

行った先では道場が乱立していて道場経営が厳しく、更にはリンダは身篭っていたのだ。

そんな折の1964年
ブルースはロングビーチ国際空手選手権の公開演武に招かれた。

このデモンストレーションの模様を収めた一本のフィルムが、東洋初ハリウッドアクションスター『ブルース・リー』誕生に繋がって行く。

裏目が功を奏した形となり、テレビドラマ『グリーンホーネット』準主役として出演すると、ブルースの知名度は上がり生活も好転して行く。

それでブルース一家は映画制作の為に再び香港の地に戻って来る。

そして作られた『ドラゴン危機一髪』は封切りから三週間で350万香港ドルを叩き出し、それまで最高だった名画『サウンド・オブ・ミュージック』の記録をあっさりと更新してしまう。

出典:https://renote.jp/articles/13106

そして次に撮られた映画『ドラゴン怒りの鉄拳』は封切りから13週目で前作の『ドラゴン危機一髪』の記録をあっさりと更新する400万香港ドルの大ヒットとなる。

出典:https://hukadume7272.hatenablog.com/entry/2019/06/15/065914

そして次の映画『ドラゴンへの道』では、ブルースが自らが、企画・制作・脚本・演出・主演・武術指導・音楽監修の全てをやり切り、興行収入530万香港ドルを叩き出す。

出典:https://www.amazon.co.jp/

そして次の作品『死亡遊戯』を撮っている最中にアメリカのメジャー映画会社・ワーナーからのオファーが入る。

ハリウッドへの進出である。

その映画がブルースの名を世界に轟かせる事になる超大作『燃えよドラゴン』だ。

映画制作に入ってからは制作秘話もあるのだが、やはりブルースの映画を観てもらいたいと思い、はしょってはしまったが、アクションに色あせる事はないので是非映画で楽しんでもらいたい。

ただし『燃えよドラゴン』はブルースの意向がかなりカットされてしまっている。

しかし、現在発売されているディレクターズカット版DVDでは、ブルースが当時思い描いていた通りの構成で、この稀代の傑作を楽しむ事が出来るので是非こちらでも⁉️

そして運命の日…1973年7月20日

撮影途中だった『死亡遊戯』の打ち合わせをしている最中に、頭痛を訴えるブルースに共演者の『ベティ・ティン・ペイ』『エクァジェシック』と言う鎮痛剤を飲ませるが…ブルースは帰らぬ人となってしまう。

1973年7月25日…


九龍葬儀所には3万人の弔問者が訪れ稀代のスーパースターとの別離を惜しんだ。

出典:https://kungfutube.info/15130

享年32歳と言う若さであった。

葬儀の前日に行われた検死解剖の結果、ブルースの胃から少量の大麻の痕跡が認められた事で麻薬中毒説が流布したが、ブルースは酒も煙草もやっていないが、大麻は大好きなショコラケーキの上に頭痛の痛み止めとして振り掛けていたと言われている。

それは死亡する中毒死には値しない。

これだけのスーパースターになると様々な死因が飛び交う。

ベティ・ティン・ペイのベッドの上で亡くなった事から腹上死説、黒社会による暗殺説、日本人犯行説に至るまで様々な怪情報が飛び交った。

現在有力視されているのは、鎮痛剤エクァジェシックに含まれている化合物に反応して引き起こされた急性脳浮腫、そしてイリノイ州シカゴにあるクック郡医療検査官事務所のジェームズ・フィルキンスは、死因を『癲癇』であるとしている。

癲癇で稀に脳に衝撃を起こし死亡するケースもあるが、ブルースに癲癇の持病があった事はどの文献を見ても載ってはいない。

但し、癲癇と言う病気は差別の対象とされがちな疾病の為に、隠されていたと言う事も考えられなくもない。

ただ、私は前者のエクァジェシックによるアナフィラキシーショックによるものだと思う。

私自身は食べ物に対するアレルギーはないが、薬物では十指で足りない程の禁忌薬物がある。

何度アナフィラキシーショックで死にそうになったかわからない。

実際に胃のバリウム検査の前に腕に打つブスコパン(胃の働きを止める薬)を打って心肺停止状態になって死んだ事がある。

胃の働きを止めるのではなく心臓の働きを止めてしまったと言う訳だ。(苦笑)

幸い心肺停止したのが病院だったので、心臓に電気ショックを充てて助かった事がある。

どのくらいの時間死んでいたかは覚えていない。(苦笑)

薬は、頭痛で飲む場合に鎮痛と言う効果はあるかも知れないが、副作用は20〜30は楽に出て来る。

それが薬と言うものだ。

私も死にそうになった事は何度もあるし実際に死んでもいる

私の知人は、肩に湿布薬を貼って表に出たらアスピリンショックから喘息を起こし亡くなっている。

湿布薬によっては太陽光線を浴びると効果が10倍にも出てしまう事があるからだ。

たかが湿布薬を貼っただけでも死ぬ事があるのだ。

『漫画大学院』からのお願いは、出来るだけ薬は飲まない方がいい。

漢方ですら副作用はあるのだから⁉️

では、薬で副作用の無い薬なんてあるのかと言えば…一つだけある。

整腸剤『ヴィオフェルミン』だ。

お勉強になったかな?

ただし、薬と言うモノは人の命を守る為のモノでもある。

副作用云々と言ってもいられない。

日本の医療で疎かになっているのは、医師は安易に薬を出してしまい、患者は抵抗なくその薬を飲んでしまう事だ。

医師と患者との十分な情報を得た上での合意を意味する概念、いわゆるインフェームド・コンセントが必要で、医師は薬に対してもしっかりとした副作用も説明し、患者もその処方される薬にはどんな副作用があるのかはやはり聞くべきである。

例えば『クラビット』と言う抗菌薬がある。

コレを普通に市販されている鎮痛剤と一緒に飲んでしまうと死んでしまう事もある。

副作用×副作用=死亡と言う事にもなってしまうからだ。

さて、ここからは余談になるのだが、ブルース・リーと言えばヌンチャクだ。

私の中学時代は、ブルース・リーのブームと共に流行ったのがヌンチャクである。

漫画の通販コーナーで買ったり、高価で手が出ない者は木材を切って丸くヤスリを掛け、チェーンを付けてヌンチャクに仕上げるのだ。

みんな家で死ぬほど…と言うか、痛いほど練習する。(笑)

そのヌンチャクを鞄の中に入れて学校に持って来ては休み時間にやるのだが、みんな頭にヌンチャクの棒の部分をぶつけては頭を抱えてうずくまっている。

これは隣のクラスを覗いでも同様で、一人二人は必ず頭を抱えて痛がっていたものだ。

もちろん私もコブだらけになってやったものだ。

少年時代の痛い想い出だ。(苦笑)

タイトルとURLをコピーしました